そば畑が地平線の果てまでを占める=オビ川とクロスする西アルタイ農地
そば畑が地平線の果てまでを占める=オビ川とクロスする西アルタイ農地

ロシア・シベリア紀行 そば畑は緑豊かに

                                                           そば研究家・渡辺克己

 

 7月中旬、ロシア・シベリアの農村の視察を敢行した。日本とほぼ同じ季節の推移で、そば畑は開花期を迎えていた。畑地は西アルタイ低地のオビ川流域に肥沃な黒土に恵まれて広がっていて、反収は日本の二倍の実績だという。 シベリアといえば、先の大戦末期のどさくさに、日本軍部の情報集めの下手さの末に、米ソ連携の情報策略戦に負けて、われらが同胞はスターリン独裁の犠牲の末、シベリアに送られ、過酷な労働を強いられた土地だ。

 

 それが今年は戦後69年、はからずも視察の機会を得た。駆け足だが初めて見るシベリアの大地は、陽光が燦々と降り注ぎ、眼前に光り輝いていて、複雑な感激であった。日本ともアメリカとも異なり、巨大ファームの農場主は、「農薬を控えて土の本来の力に頼るオーガニックの精神こそ大切」と強調していた。また、ロシアの家庭ではそば料理、そば食が普及しており、そばに執着するさまは、日本人並みだと思った。

カーシャ=スープ、ミルクなどで溶いたそば米が舌になじむ
カーシャ=スープ、ミルクなどで溶いたそば米が舌になじむ

 視察は「14年度全麺協海外研修旅行」(第八回)として行われた。中谷信一団長(富山県(旧)利賀村)以下19人が参加。関西、会津、関東、北海道などで構成。6日間の旅程は成田発、JAL(シベリア航空と共同運航)でウラジオストック経由、ノボシビルスク、モスクワ各二泊で組まれた。 

 

 お目当てのノボシビルスクはおおまかにいえば、モスクワから東へ、シベリア鉄道が9297キロメートルが延び、日本海側沿海地方のウラジオストックへたどる。その中間地点に、オビ川流域、西アルタイ低地の広大な耕作地が広がる。そこのコントノフ村でそばのほか、ナタネ、麻、えんどう豆、小麦、ジャガイモなどを生産するアナトリー・イワノフ氏(56)の農場を訪ねた。同ファームの概略は以下の通り。

 

 イワノフ農場は耕作面積が全部で8000ヘクタール。うちそば畑は2500ヘクタール。平年作は3000トンに上るという。この一軒だけで日本のそば生産の2割程度にも当たり、気の遠くなるようなスケールである。作業従事者は全部で30人。(うち家族は8人)全部ロシア人。6月上旬に播種、10日間ぶっ通しでトラクターを稼働させ、9月に収穫する。農薬、肥料は用いず。3年前の猛暑、干ばつを体験したが、その時は半作で何とか乗り切ったという。

 

 同年、モスクワの西南400キロのオリョール市で世界そばシンポジュームが開かれ、130人の日本人研究者に混じって筆者(渡辺)も参加した。その際、熱中症でモスクワだけでも100人以上の死者が出た。そばも凶作となり、時のプーチン首相は、すでに事前契約の済んだ中国産玄そばを、横から持って行った。これには日本やフランスから大ブーイングが起きたが、ロシアに中国そばが入ってこない事態は深刻である。そこで中国はそばは主として輸出向け農産物であり、ロシアは輸入後、周辺国にそれを分配する。ロシアがそんな形でステータスを誇示する。そういう立場であるとも分かった。

 

 ロシアではそばは、おおむね週に一度、家庭の食卓に上る。ガイドのマリーナ女史によると、そばは準主食の位置づけであるらしい(同氏は北大留学の体験者)。その食べ方はそば米でスープやおかゆの牛乳とじ(カーシャ)で、すする。またビーフ・ストロガノフ(平皿にそば米カーシャに牛肉、野菜炒めを突き合わせる)などが定番だ。そばが無いと胃袋がいらいらしてくるらしい。そばはそば屋でという日本とは大分違うようだ。

 

 農機具は米国、英国、カナダ製などが多く、小規模経営のドイツ製などは少ないという。労働力を自国民でまかなう作業現場には、やる気とゆとりの空気が流れていて、私たちにも人懐っこい目線を送って見せた。この辺りは沿海地方の特派員リポートが伝える某アジアの国の労働力の能率の低さと対照的だ。ノボシビルスクは人口143万人、ロシア第三の都市。オビ川の両岸にまたがる河港都市。北海道から参加している幌加内町・北村忠一氏はそば畑165ヘクタールを耕し、実質日本一のそば生産者である。一方、イワノフ氏の2500ヘクタールはその15倍のスケール。幌加内全町のそば畑の7割を占める。日本一の北村氏は、イワノフ氏の説明に唸っていた。夏の最高気温(40度)と真冬の最低気温(マイナス40度)の開きは両者似たような気象環境といいえる。

 さて、シベリア・ノボシビルスクといえば、日本人には寒い悲しい暗黒の流刑地として記憶が蘇る。しかし現在は芸術、文化の中心地として歴史的に発展し、現在航空各社の国際路線が網の目のように乗り入れている。戦後対戦国兵の流刑地として存在し、日本人は一説に70万人が送り込まれ、うち5万5000人が帰国を夢見ながら死に絶えた。復員できた同胞も、クレムリンに洗脳された工作員として警戒された。戦後札幌で育った筆者の周囲にも、ロシア料理店を開き、懸命に生きるラーゲリ帰りを見たものだ。日本中いたるところにそういう場面があった。先年、プーチン氏が来日した折、シベリア捕虜の非人道的境遇に触れて、謝罪したと報じられた。今回、北海道奈井江町から加わった丸山勝孝氏は父親が抑留・復員者であった立場であり、ノボシビルスク鉄道博物館説明員にそのくだりを筆者が紹介すると、両者の間に感慨深い空気が流れたようだった。ある意味でソ連の人でも他の地からスターリンに送り込まれた例もあり、彼らも被害者の一人でもあるかもしれないのだ。イワノフ農場との会話で、それらが話題に上らなかったのは、69年という歳月が壁となって、忘却の彼方となってしまったのかも。ついでに話は本題から逸れるが、プーチン氏は世界の柔道家・山下泰裕氏と親しい間柄であることはよく知られる。山下氏がモスクワに立ち寄ると、クレムリンの執務室に待たせておき、最高権力者としての業務が片付くと、深夜であっても、やあよく来たといって、柔道談議に花を咲かせる、とラジオ深夜便で語っていた。またプーチン氏にはもう一つ、演劇好きという趣味があるらしい。全麺協の発祥の地の富山県(旧)利賀村では世界の劇団が集まって、毎夏演劇祭を繰り広げられるのが慣わしとされる。その仕掛け人が早稲田大学演劇部の鈴木忠志先生だ。その大きな存在をプーチン氏も知っていて、両者は芝居談議を楽しむ間柄であると、中谷団長は語っていた。

 

 折しも和食が世界遺産に指定されて、日本食に海外からも脚光が当たって、おかげで魚を食わないロシア人も刺身のうまさを知り始めているといわれる。モスクワで、すし屋が繁盛し、うどん店ブームも半端なものじゃないと聞いた。あのつるつるした喉越し感は新たな出会いであるらしい。しかし国内に目を戻すと、パン食の国産新品種開発、外食牛丼の値下げなど、競争は相変わらずしのぎを削っている。それに比べて、そばの分野は地味で控えめで、どちらかというと受け身の構えが続いている。ロシアのそば生産は巨大であり、日本のそば食は少量を食べて、それはそれで、日本人の胃袋は満足しているといえる。

 

 しかし最近、タイ人観光客が北海道・後志のリゾート地に来て、手打ちそばを食べるリピーターが増加傾向だと聞く。かれらに日本のそばの美味しさを教えるには、従来の控えめな食べ方でいいのか。

 

 そこから脱却して、もっと満足してもらう方法を考えるときになったと、ロシアを旅しながら思った。TPPの農産物交渉を見守りながら、コメ、小麦などのメジャー・クロップのなり行きに、後ろからくっついていけばいいという、消極的姿勢で、終始していていいのか。そば食い人間の日本人の食習慣を、もう一度考えることが、必要ではないだろうか。

 

                         - 2014/8/5 -